ささログ

22:惚れるより慣れってね。


皮肉げに細められた瞳。揶揄するかのように口角を釣り上げる。

そんな風に全く笑わないとは言わない。

けれどこんな顔、彼のモノとは思えなかった。




なにが原因なのか全く分からなかったが、目の前の彼はもう一人の彼に怒っていることだけは確かだった。

だからといって、どうして毎回自分が八つ当たられなければいけないのだろう。

縫いつけられた自分の手と、悠然と自分を見下ろしてくる彼とを見比べ、あまりの理不尽さに本気で頭痛がした。

だから、

「どうせ......本気じゃないくせに」

ため息混じりの本音がつい漏れた。

聞きとめた彼は目を眇め、薄い笑いを治める。不思議そうな表情になってようやく、彼と似たものを感じる。

「本気じゃないとどうして分かる？」

「中から、見てるから。見られてるのだって知ってるくせに」

"誰が"とか、"誰を"とか。

あえて避けた言葉を正確に読みとり、自分を押さえつけている指先がぴくりと反応するのを見て取り、充足する。

やっぱりそうじゃないか。

すました顔で反応を待っていると、伺うような表情をちらりと見せた後、彼は大息を付いた。

「出せって？」

「当たり前だろ」

当然とばかり頷いておいて、内心舌を出した。

本当は、もう一人の自分は今夜珍しく深く眠っているのだ。

騙そうとしたんだ、騙しても構わないだろう。とそんな風にも思った。

「で？」

「あぁ？」

縫いつけられたその手を握ったり開いたりしながら、見上げた。

用無しの自分を、そろそろ解放してほしい。

「手、もう良いだろ」

「さて......」

考える素振りで彼は、押さえつけていた指を指先で撫でた。まるで愛おしい形を確かめるように......。

「......っ」

指と指の間の敏感な部分を刺激され、くすぐったさに思わず声を上げそうになったが、堪えた。

目の前の彼を満足させるような態度を、一瞬たりともとる気はない。

能面のような表情で彼を見上げながら、数分前のことを思い出す。




―――もう寝ようと思っていた。

訪ねる声に、ドア越しに応えると聞き慣れた空の声。

「どうしたの」と言っても明確な答えがない。

若干の違和感にいぶかしみつつも、鍵を開け扉から顔を覗かせた直は、その直後後悔する羽目になった。

対峙した途端腕を捕らえられた。

「え？」と思う間もなく、放り投げられるようにベッドに押し込まれ、腕の中に閉じ込められた。

そして、静かに駆け引きを繰り広げる今に至るというわけだ。

油断もいいところだった。と直は今更ながら思う。

一瞬、空らしくないと思ったのだ。もっと疑うべきだった。

無防備だとは空によく言われるが。

そんなつもりなかったが。

これからは空の言うことを聞いて、少し気をつけてみるべきなのかもしれない。と、反省しつつ......。

それにしても。と、空と空の姿をした夜を見つめる。

どうして自分は毎度、こんな目に遭わなくてはいけないのだろう。

喧嘩したなら、二人で決着つけてくれればいいのに、どうしてか、いつも直は巻き込まれる。

夜に気持ちがないのは、空が一番分かっているはず。なのに、八つ当たりなこんな冗談でさえ、ひどい嫉妬の対象になる。後で手痛い目に遭うのは、またも直。

勝手に巻き込んでおいて嫉妬されるなんて、理不尽過ぎるだろう。

考えれば考えるほど苛立ちが募り、直はとうとう感情を露わにした。

「いい加減にしてよ、......夜」

「あぁ、やっと呼んだな」

再び口角を上げるあの笑いを浮かべた夜の科白の真意が分からない。

それをそのままぶつけてみると、

「お前に呼ばれたかっただけだ、直」

と、ぶっきらぼうに答える。

意味が分からない。夜は今、何がしたい？

不審げな直に、彼は偉そうに鼻を鳴らした。

「最近お前、オレに対して不遜だよなぁ？　怯えもしねぇ」

「それは......」

だって慣れてしまった、から。

直自身に向けられる、夜の欲は全て本気などない。時に巧みに混じった本音すら、もう一人のものだと知れている。

そんな彼に怯える必要がないと分かったから、いい加減あしらうのも上手くなっただけだ。

動揺も無しに夜を見上げる直の視線をどうとらえたのか。

すぅっと目を細めた夜の表情は一転獰猛な獣の顔に切り替わり、直の顎を捉え顔を近づけてくる。肉食獣を思わせるような色を瞳に宿し、夜はせせら笑った。

「慣れたというなら、こっちも慣らそうか？」

本当と嘘が入り交じるいつもの言葉だと、冷静な部分で思った。が、その表情にはさすがにぞっとした。

感情が恐怖に染まり、作ってきた虚勢が一瞬にして崩れた。

「いっ、嫌だ......っ」

「空にもまだ慣れていないんだろう？　どうだ、試してみるか？」

「......っ」

味を確かめるように、舌で頬を撫でられた。唾液の湿った気持ち悪さに、吐き気すら覚える。

嫌悪感と本能的な恐怖に体が凍る。駄目だと制止しても、勝手にじわりと涙が滲んできた。

―――怖い。夜が怖い。

彼は本気じゃない。悪い冗談だ。

いくら自身に言い聞かせようとも、一度沸いてしまった感情はそう簡単に払拭できない。

耐えきれず、直は静かに目を閉じた。

恐怖なのか悔しさなのか。絶えず涙はこぼれ落ちたが、声を上げないのは唯一の抵抗だった。





嗚咽をかみ殺していると、しばらくして夜の気配が急に自分の上から消えた。あの獰猛な雰囲気もだ。

「......？」

いきなりあっさりと、腕も解放された。

放置されたような格好になったが、さっきよりは断然ましだ。

恐る恐る目を開け身体を起こすと、涙目に映った彼は不遜げに笑った。

「オレの勝ちだな、直。怖かったんだろ、オレが？」

「......っ」

一瞬にしろ強く劣情を露わにしたアレは、夜にとって駆け引きの延長......のようなものだったらしい。

感情を押し殺す最近の直が相当面白くなかった、だから動揺させるのが一番の目的だと夜ははっきりと言い切った。

唖然としてると、夜は更に艶やかに頬を緩める。

「お前の泣き顔を見るのは悪くない」

「......悪趣味っ」

そう言えば、らんに対してもそうだった。

らんが許しているからと散々苛めるように愛でて、彼の全てを奪っていく。

それのどこが愉しいのだろうか。

嗜虐的なその思考には付いていけず、直は目眩を覚えていると、

「空だって嫌いじゃないだろうよ」

「な......っ」

追い打ちをかけるように、またもや平然と言う。

「オレは空の理想の具現化だったりするんだぜ、直。空がお前にそうしたいと望んでいるとはどうして思わねぇんだ？」

言葉も出ないでいると、夜はニヤリと笑った。

「惚れたヤツの涙にぐっとこないヤツはいねぇよ」

「......惚れてなんかいないくせにっ」

それが誰の誰に対するものを言っているか、分かっていたがあえて無視した。

そして、前からの疑問を夜にぶつける。

らんの本体にしても、夜が直に対しても執着を見せる時があるのは何故か。

「はは、それこそ、慣れだな」

「......なに、それ」

一瞬目を丸くした夜は、実に愉しそうに声を上げた。

憮然とする直の顎を掴むと、顔を近づけてきた。睨む直に夜は怯むことなく、見つめ返した。

「オレとお前、惚れるってか慣れだろ、全部？」

「......」

「お前は、空の強みであり弱みで、らんの本体だ。認めるしかねぇ。お前はお前で、空の一部であり、らんの恋人であるオレを受け入れるしかねぇ......だろ？」

そう......かもしれない。

空には夜がついて回るし、直にもらんがついて回る。

好きだろうが、嫌いだろうが。もちろん惚れていなくても。

空も直も、夜もらんも、それを認めて一生もう一人の自分を受け入れると決めているのだ。

こんなややこしい関係、結局は慣れるしかないのかもしれない。

不承不承ながら頷くと、夜はあっけらかんとして笑った。

「んで、もっと慣れたら、ヤろうぜ？」

「はぁ？　なに言ってんのっ？」

「お前なら、大歓迎」

「お断りだっ」

どこまで本気か分からないが、多分本気も少しは混じってる、らしい。

にべも無く撥ね付けた途端、噛みつくように頬を奪われた。

反射的に振り上げた腕は、夜に簡単に阻止される。

それが悔しくて、無言のまま奪われた頬をこれ見よがしにゴシゴシと拭ってやった。

「素っ気ねぇなぁ」

つまらなそうな口調ながら、艶やかに笑った夜を睨みつつ。

きっと見ているだろう空を思い浮かべて、会った途端消毒だとか言ってくるんだろうなと、笑う夜の傍らで何度目かのため息がこぼれ落ちた。


～終～