ささログ

9:無闇に己惚れないで


食事を一緒に取るっていう生活が普通になってから、俺が羽柴の部屋に入り浸っていると噂が立ったことがある。

実際羽柴の部屋で食事をすることが多いから、必然的にそう見えるんだろうなぐらいにぼんやり思っていた。

「―――そうじゃなくて、藤守が通い妻してるんだってさ」

何故か照れたようなその言葉に、頭が真っ白になったことを覚えてる。




『少し遅くなるけど、夕飯作るから。酢豚の予定（＾o＾）ノ』

そんなメールが来てたから、

『勿論パイナップルは抜きだよね？』
『おう！　入れた方が肉が柔らかくなって美味いんだけどな』
『いらない。』
『へいへい～』

2・3回やり取りをした後、一足早く帰宅した俺は、いつものように預かってた鍵を使って羽柴の部屋で待機することにした。

遣り残してた課題レポートをまとめながら、時間を過ごしているうちに、眠くなってきてしまった。

床に転がってみたり、テーブルの上に伏せてみたけどどれも寝にくくて。

勝手に使うのは多少気がとがめつつも、羽柴のベッドを借りることにした。

羽柴の匂いするなー......なんて、素で考えると赤面ものの思考をさっさと遮ってくれたのは、いつもの眠気で。

羽柴が帰ってくる頃には、すっかり眠りこけていた。




部屋が明るかろうか暗かろうが数分で熟睡出来る。

自慢にもなら無い特技持ちの俺。でもこの時は蛍光灯の明るさが珍しく気になっていたらしい。

ただなんとなく瞼越しに感じてた光に、急に影が落ちてきた感覚がして意識が戻った。

多分眠り事態浅かったんだと思う。割とすぐ覚醒できたから、億劫だけど目を開けることにした。

眠りが浅くてもやっぱり寝起きとなると瞼が重くて、中々視点が定まらない。

人影......？

ぼんやり見上げてると、すごく近くに、顔......。

えっと......。

「羽、柴？」

「うん、ただいま」

にこにこと笑顔の羽柴の顔、近い。

「お......かえり、なさい」

超至近距離の羽柴に動揺して、声が上擦った。

そんな俺を笑顔のまま羽柴はただじっと、見つめてくる。

「な、なんだよ......」

「いや、よく寝てるなーと」

「夕飯？」

「あぁ」

そういえばと、漂ってくる酢豚の良い匂いに食欲がすぐに刺激されてきた。

ぐーっと軽くお腹が鳴った。

「......勝手にベッド借りてごめん。もう起きるから退いて」

何故か羽柴は、仰向けで寝てた俺の身体を跨いで、四つ這いで俺を見下ろしてる状態。

見ようによっては押し倒されているような感じっていうか。

一体何してるわけ？

「う～ん......」

考え込むようなこと無いはずなのに、何故か歯切れの悪い羽柴。

酢豚冷めちゃうと思うけど？

「折角だしちょっとぐらいって思ってさ」

「......」

微かに混じる普通とは違う目の色を見てれば言わんとしてることは自ずと分かるけれど、"折角"の意味も、"ちょっと"の意味も全く分からない。

なんていうか、ね。

怒るって言うより正直呆れてしまう。

気持ちよく寝ていて、何故こんなコトになるというのさ。

すっかり呆れ果てた俺に、羽柴はじっとりとした視線のくせに呑気に言う。

「オレの部屋だけどさー、あんま無防備に寝てるなよな」

「なんで？」

確かに羽柴の留守に勝手に入り込んで、しかも眠ってたのは悪かったと思うけれど、別に羽柴の部屋だし無防備に寝て何が悪いんだよ。

と考えたところで、何らかの意図を醸し出した笑みを浮かべる羽柴の顔に気付き、漸く悟った。

―――俺が誰に一番警戒しなきゃいけないのかを。

ふーん......。

だから"無防備に寝る"と、ね。

でもそれって俺の責任？　―――むしろ羽柴の方なんじゃないの？

文句言うのも馬鹿馬鹿しくて羽柴の身体を無理やり押しやり、強引に身体を起こす。顔も見たくなくなったから、背を向けてやった。

ぴりっと怒気を纏わした俺に気付いたらしい羽柴は、くすくす笑い出した。

「無防備だとほら、こういうコトしたくなるし？　分かるだろ？」

羽柴は俺のお腹の辺りに手を回し、背中に頬をつけてる。チビが抱きついてるって感じに甘えてくるから、ちょっと絆されかかった―――けど。

「無防備な藤守って、すっげー可愛いからさ......」

「ちょっ......」

ほんと、油断も隙もないっ！

チビは服の中に手を入れてくるような変な甘え方なんか絶対にしない。

肌を這う羽柴の手は傍若無人で、くすぐったいようなむずがゆいような感覚が沸き上がってくる。

「勝手なこと言って、勝手なことっ、やだ......ってばっ」

好き勝手してくる羽柴の手を止めようとするのに、するすると逃げ回って、本当にイヤらしいんだからっ。

「しかたねぇだろ、藤守のせいだって」

「ど、どういう理由だよっ、いっつも俺のせいにしてこんなエッチなことばっかり......っ」

俺の身体を這う羽柴の指を外すことに夢中になってたから、無意識に言葉が零れた。

―――しまった、完全に失言。

途中で気付いて慌てて口を閉じたけど、背中越しに感じる。

今絶対、羽柴イタズラっぽい顔してる。

「へへ、いっつも？　こんなエッチなことばっかり？」

「う......っ」

「なぁ、どんなこと？　藤守......」

「し、知らない......っ」

囁くような低い声のせいだけじゃなく、ぞく......っと身体が震えた。

俺たちの関係の際どいこと、口になんて出せない俺だって知ってるくせに、時々羽柴は言わせたがる。

―――本当のところ、その意味は何となく分かってる。多分俺が、羽柴への言葉をいくつも噤んでいるから。

「言って、藤守......」

イタズラっぽい口調で言っているのにいつもどこか瞳は真剣で、多分今も、そう......かな。そんな羽柴の顔を見ると、いつも俺は心臓をわしづかみにされる気分にさせられる......。

―――でも。

「なぁ......」

吐息混じりで囁かれて、顔中に身体全体の熱が集まった気がして、何か頭の中が色々真っ白になった。

「......るっさい、うるさーいっ！」

どういう訳かおいつめられると、羽柴に対しての感情の出し方が分からなくなるんだよね......。

こういう状況が苦手っていうのもあるし、それに羽柴のは直球だから同じように返すなんてこの俺には考えられない、絶対に無理。

「お、おい、藤守ぃ」

「うるさいっ、ばか羽柴っ、いい加減放せーーっ」

恥ずかしさとか熱っぽさとか色んな感情で混乱した俺は、困惑気味の羽柴に叫き散らしてしていた。

「ったく......」

そんな俺にそれでもしばらくは我慢していたみたいだったけれど、とうとう痺れを切らしたみたい。

暴れる腕ごと俺のこと包み込んだ羽柴は、

「分かったから......」

一人大人な顔して諭してくる。

ぽんぽんと優しく背中をたたいたりしてさ、なんだよ、それ。

「素直じゃないよなー」

「っるさい！」

「らしいけどなー」

「っるさいってばっ」

「そういうとこも好きだけどなー」

「なっ！」

しれっとして言うことが、それっ？

理解すると同時に顔が熱を持った。だってまさかそうくるとは......。

そんな自身にあわあわしているうちに、今度は容赦なく、ゆっくりと羽柴の顔を近づいてきていた。




結局俺たちは、冷め切った酢豚を啄ばむ羽目になった。

出来立てだったらもっと美味しかっただろうな。

レンジで暖めたら？って言ったら、肉が固くなるってさ。

もうどうでもいいよ、もうね、食べられれば。時間遅いし、お腹減ってるし。

ただ、黙々と箸を進める俺に、羽柴はふと気付いたように怪訝な顔をした。

「そういえば、今日は照れねぇの？」

「......わざわざ俺を怒らせて面白がってるの知ってる」

「ふ～ん？」

平然と受け流した筈が、表立ってにやにや笑いしてくるもんだから、揶揄されてると思いこんでうっかりカッとなってしまった。

「誰のせいで冷めたご飯食べる羽目になったのか分かってるのっ」

「一応、ね？」

「今日だって、早く部屋に帰るつもりだったのに。こんな時間に戻ったら、ますます変な事言われるよっ」

「あれ？　今更気にしてんの？」

「......だって」

俺たちの関係って、いわゆる世間の常識からは外れているわけだし。

難しい顔するオレに羽柴は何か感じたらしく、少しは考えてくれたわけだけれど。

「ならさ、こういうのどう？」

「なに？」

往々にして、斜めに突き進むのが羽柴なんだよね......。

「もう少ししたらさ、寮出て二人で暮らさね？」

ふと良いこと思いついたという顔をした。

「はぁ？」

「そしたら、余計な噂に振り回されず、いちゃいちゃ出来るだろ？」

「......二人暮らしするほうが余計噂が大きくなると思う」

「あーそっか。残念」

けらけらと呆気なく笑う羽柴。

今の発言、どこまで本気なんだよ。

「誰にも邪魔されなかったら、少しは藤守も素直になってくれんじゃねって思ったんだけどな」

「悪かったねっ！」

「まぁいいよ。大事なことはちゃんと分かってるし」

「......自信家」

「うん。とりあえず、藤守に関しては」

照れも手伝って二の句も告げなくなってる俺と、そんな俺を見つめて満足そうな羽柴。

ほんとにもう。

無闇に己惚れないでよね......。



～終～

17:ねぇ、どうしたら嫌ってくれる？


真一朗を傷つけ奪い、空を裏切ったあの日から、今も彼を裏切り続けている。

理由あってのことだけれど、それは決して空たちには知られてはいけないこと。

だから、「どの面下げてのこのこと帰ってきたんだ」と、罵られて恨まれていて当然だと直は覚悟していた。

再会して、本位ではないけれど自分の意思で口にした酷い言葉に対して、当然の反応をしたのは夜だけで、空はむしろ直を庇うかのように夜を止めた。

空の眼は変わらず真っ直ぐで、こんな自分を信じているかのようで、......時に熱っぽくて。

―――戸惑う。




命じられるがまま、空が暮らす部屋の上に越してきて数日が過ぎていた。

まるで高校生の頃に体験したような馬鹿馬鹿しい出来事はあったが、穏やか過ぎる日常。

監視の目もなく、素の自分を唯一取り戻せる場所が出来たことに安穏としてしまいそうな自分に苛立ちを感じながらも、ぼんやりベッドに身体を投げ出していた。

（どうやって羽柴にチビのこと伝えよう）

真一朗が"水都"として振舞っていることに苛立ちを覚えた相沢は、青に興味を抱いていた。

青を調べれば、"水都"ではない真一朗を取り戻せるのではないかと狙っている。

尋常ではない相沢の真一朗への執着を考えると、確実に青が危ない。

空はそれを知らない。

そして直はそれを直接的には伝えられない。

敵側の人間だというスタンスを守りつつ、青の危機を明確に伝えなくては。

（どうしたら......）

直情的な空には、婉曲的な表現だと理解に乏しい。

しかも最初より、自分を疑ってくるようになっている。と、考えた瞬間、酷く胸が痛んだ。

（まだ痛いなんて......）

空の敵を演じ続けなければいけないことを今更後悔はしない。

自分自身で選んだこと。

......なのに。

空の態度一つで揺れてしまう自分がもどかしい。

再会したあの瞬間、空が懐かしむようなほっとした表情で自分を見つめたのを、直は苦く思い出していた。

「―――ねぇ、らん」

息を潜めるようにしてじっと自分を見つめていた、もう一人の自分に声をかける。

『......なぁに？』

「憎んで......。ねぇどうしたら嫌ってくれるんだろう」

『......っ』

らんが息を呑む音が聞こえた。

深層心理にダイブしないまま、答えてはくれないと分かっていながら、尋ねていた。

きっとらんは沈痛な面持ちで自分を見ているのだろう。

四年前協力してくれると言ってくれたらんは最近、自分を止めるかのようなことばかり口にしていたから。

彼の言葉も今は少し、辛い。

らんが自分を許してくれているのは分かっていて、そんな彼にほっとしている自分もいたけれど、今はむしろ昔のように恨んでくれていた方がよかったのかもしれないと直は思っていた。

『憎むとか嫌うとか......、空、らしくないよ？』

「......かなぁ？」

ぼんやり相槌を打つ。

空が憎しみを抱く。

考えただけでも身が引き裂かれるほど辛かったけれど、当然のことと受け止めようと思っていたから。

空らしくないなんて、考えもしなかった。

「......らしく、ないのかなぁ？」

そうだ。空らしく、ないのかもしれない。

太陽みたいな空の笑顔を思い出し、直はふっと微笑んだ。

けれど、その笑みはすぐに歪んだものとなる。

だからって、自分に対してそうとは限らない。

むしろ、限ってはならないのだ。

例え憎しみを抱くのが空らしくないとしても、憎まれて当然のことをしているのだ。

（......憎まれて、嫌われて当たり前。まだ痛みを感じるなんて......なんて自分勝手なんだろう）

自嘲気味に微笑む直に、らんはふんわりと寄り添う。

『ナオ......』

「ん？」

『......もう、こんなの止めない？』

「......」

止めない。と、言葉に出さないまま、厳しい表情で直はらんに答えた。

決心は、当に出来ている。

空を裏切る立場に立つと決めたあの時から。

そうじゃなくてはきっと皆を、空を守れない。

『空は今もナオを......』

「......」

どうだろう。と思う。

気持ちなんて変わってしまうものだ。しかもそれだけのことをしてきている。

それだけではない。きっとこれから起こることでもっと空を裏切っていくだろう。

―――それに。

空の気持ちが変わらないと嬉しいのかと自問してみるが、そうとは思えない。

「もっと、もっと。恨んで、憎んでくれたら......」

その方が、いずれ消えてなくなる自分にはぴったりだろう。

『でも、ナオ。それで良いの？　空は好きだって、ナオだってっ』

「......」

止めて。と言うより、自身を殻に閉じこめた。

後悔がないと言ったら嘘になる。

結局は自分の気持ちを伝えることは出来なかったから。

空が「好き」だと言ってくれた、本当の自分。

あの時は―――本当の、ただの直でいられたから。

あの言葉は宝物だ。

（俺だけ貰ってばっかりで、ごめんね羽柴......）

四年前空がくれた言葉だけが、今の支え。

それが胸にあるからこそ大丈夫だと、直は笑う。

空も、らんも自分になんか捕らわれないで、生きていって欲しい。

「そんな顔しないで。大丈夫。らんも、この身体はちゃんと守る」

『ちが......っ』

「それから、羽柴もチビも、お兄ちゃんも七海先生も。絶対に絶対に......」

『ナオっ』

「俺が、守るから」

濁りのない瞳で虚空を見つめる。

慟哭するらんに、かける言葉もないままに......。

こうするのが正しいと信じきって。



～終～